July 20, 2008
レッシグ読者ならおなじみだけれど、著作権の大きな問題として、だれが権利を持ってるのかわからない作品というのがある。どっかのだれかは絶対に権利を持っているはずだけれど、でもその人がどこにいるか見当もつかず、かといって黙って使えばあとからそいつが名乗り出てきて巨額の賠償金を請求される可能性もあるので、だれも使えないような作品だ。「精一杯探したんです」というのはいまはいいわけにならない。
 ところがいままで知らなかったけれど、アメリカ議会はいま、これを何とかしようとしているそうだ (House’s Orphan Works Act of 2008 (H.R. 5889))。精一杯権利者をつきとめようと努力しましたということを示せれば、使っていいことにしよう、という法案を検討中とのこと。個人的にはえらいと思うし立派な動きだと思うんだけれど、少なくともぼくには意外なことにレッシグはこれに反対している。精一杯の努力というのが定義されておらず、費用が高くなるから (いや、なる可能性がある、ということで。現在は具体的な定義はまったくない)。かわりに著作権を登録制にしよう(一定年数を超えたら、保護してほしいものは登録しないとダメ、というもの)という。
 そういう改訂ができれば結構なことだけれど、うーん、そういう大幅な著作権法の改定はずいぶん面倒だろうし、既存の枠組みの中で考えるなら、少なくとも権利者のわからん作品を使う道が開けるだけでも有益だと思うんだがなあ。特にこの「精一杯の努力」というのの定義次第ではいろいろ可能性があると思う。そしてこれは、作品の著作権者の所在を明確にすることを多くの人にうながすことで、長期的にはレッシグの主張する制度の実現にもつながると思うんだがなあ。
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